では❗2日目、最終日の旅をご紹介致します
"Hawaiians"で朝風呂に入りバイキングの朝食を摂った後はチェックアウト間近だったので慌ただしく家族共々、楽しかったホテルに別れを告げました
その後はいわき市を観光し "石炭・化石館 ほるる" へ
複製にも驚きましたが実物も数点展示されており、一部化石は実際に手で触れることができます❗
上写真のアンモナイトを触ってみましたが何とも不思議な感触😅
なかなか楽しい場所でした(少々子供向けですが…(笑)
お次は「日本の灯台50選」にも入っております "塩屋埼灯台" へ直行です
この塩屋埼灯台は1957年公開の木下惠介監督作品「喜びも悲しみも幾年月」(主演 高峰秀子)の舞台となった場所でもあります
映画についてはこちら
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/
灯台への階段入り口には映画の石碑があるのですが写真は撮りませんでした
50段近い階段を上がりやっと到着❗
画面が暗くてすみません😞
この日の天気はあいにく悪く強風となっておりました
灯台頂上まで上がりましたが、あまりの強風と高所とで恐ろしくなり直ぐに下りてしまう始末です😞
灯台に別れを告げる際の1枚
そして塩屋埼灯台と同じく街の方や観光客に長年に渡り愛されている場所がこちらです❗
故 美空ひばりさんの「みだれ髪」の歌碑
(近付くとセンサーが反応し曲がワンフレーズ流れる仕組みとなっております)
"髪のみだれに手をやれば、赤いけだしが風に舞う、憎や恋しや塩屋の岬"
星野哲郎さんの詞の中に出てくる "塩屋の岬"とはこの塩屋埼灯台のことなのだそうです
歌碑のひばりさんの笑顔を見て、この街の方々や観光客の皆さんを優しく見守ってくださっているような気がしました
(実際に震災時この歌碑は無傷であった)
"ひばりさん……また必ず来ますね"
これにて旅の記録は全てですが、やはり最後は震災のことについても少し触れなければなりません。
今回、実際に行ってみてテレビやメディアがどれだけ誤った報道をしているのかが実感できました。
塩屋埼灯台への車中で見た街の風景(震災の爪痕)が正直まだ私の脳裏から離れません…
灯台の受付係の女性が震災時のことを丁寧に説明してくださいましたが、これは今回私の心にそっと閉まっておきます。
実は母の実家が福島で親戚が多数いる為、震災時に安否確認の電話が繋がらず不安になったことは昨日のことのように覚えています
幸い祖父母の家は避難区域から外れました。
(因みに今回、旅を共にしたのは父方の祖母です)
ですので福島は私の第2の故郷のような場所であって、幼い頃に行った数々の思い出の地も今は危険区域となってしまった場所が殆どで複雑な心境です
しかし今回の旅で県民の皆さんの "がんばっぺ! 福島" をキャッチフレーズに働く姿に、逆に力を頂いてしまいました❗
福島の皆さん
少しだけまた都会に戻りますが、必ずまた帰ってきますからね😊
家族と県民の皆さんの素敵なおもてなしに感謝を込めて……
皆さんにGod bless you…
今回、灯台の窓口の女性からも震災時のお話を伺うことができましたが軽々しく文字に興すことができないので控えさせて頂きます
しかし灯台への道中…7年前の震災の爪痕を目の前にし私は言葉を失ってしまいました
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